筆不精の備忘録

読書や映画鑑賞の感想を書き留める習慣をつけようと思っていた時期が私にもありました…

「火遊びの後に…」―ノンセクト左派によるフランス大統領選一考察―

フランス大統領第一次選挙が終わり(本稿の執筆日は4月11~13日)、24日に行われる決選投票は2017年の前回同様マクロンVSルペンの一騎打ちとなることが分かりました(フランス大統領選は、一次選で過半数を獲得した候補者がいない場合は上位二名による一騎打ちの決選投票を経て大統領を選出する仕組み)。この結果は下馬評通りで驚きはないものの、実際に判明すると憂鬱な気分にならざるを得ないものではあります。それは過去五年間に現職のマクロン政権が行ってきた数々の悪政にも関わらず左派が団結して対抗勢力を作れなかったからであり、マクロン政治の方向性がまだ未知数だった5年前と比べて全く希望のない決選投票になる見通しだからです。マクロン政治を否定的に捉えているなどこうした見方は副題に示す通り全く偏ったものですが、今回はこの立場を自覚したうえでフランス大統領選に対する一個人の考察を述べてみたいと思います(というか本文章を書いているうちに自分がノンセクト左派であることを再確認する羽目になった)。

フランス政治社会の基底をなすもの

まずは今回の大統領選という政局に限らない、フランス政治社会の大きな趨勢についての大きな見取り図を示してみましょう。こうした見取り図について、私は小田中直樹氏がその著書『フランス現代史』の中で提起する、単なる左右一次元の対立から①経済的次元における左右、②文化的次元における左右、という二次元の区別という視点が有益に思われます(なおフランスでの研究としてはボルタンスキ&カペロ『資本主義の新たな精神』という浩瀚な著書が社会的批判/芸術的批判という類似の二分法を使って、資本主義に対する批判の変遷を詳述しています)。これは政治的左右の対立の中には、従来からの階級対立に見られるような経済的不平等・不公正を争点とする①の次元と、性差別(性的マイノリティの問題を含む)や人種差別(民族・国籍差別を含む)の問題といった文化的不平等・不公正を争点とする②の次元が存在しており、80年代以降の政治の混乱はこの二軸の分化にあるという視点です(そしてボルタンスキ&カペロによればその契機は68年革命にある)。

簡単にいれば、より経済的な平等を求める左派の立場(課税における累進性の強化、資本移動の規制、医療・教育・道路交通など公共サービスや社会保障の拡充など)と、より文化的な平等を求める左派の立場(女性の社会進出、性的マイノリティの権利獲得、各種人種差別的制度の撤廃や人種的・民族的マイノリティの権利獲得など)は、必ずしも一致も団結もしていないということです。社会学徒としてはここで、実際の社会生活においてこれらの問題は複雑に絡み合っていることが普通であり(貧困層における移民出身の母子家庭の割合が非常に多いことは、経済的問題・ジェンダー問題・人種問題のそのどれかではなくそのどれもであるでしょう)、社会における階級関係・ジェンダー関係・人種関係の実際の連関の仕方を捉えようとする「インターセクショナリティ(交差性)」という比較的新しい概念が重視されるようになった背景はここにあると言いたいのですが、本稿では社会的現実ではなくそれが政治的にどのような立場をもって現れるかという点を論じているので、この二次元の区別をひとまず受け入れて論を進めます。

そしてこうした二種類の左派の立場に対する権力層(あるいは右派と一括りに呼ばれる立場)の回答は、右派のうち保守層は基本的に①、②のどちらも受け入れがたいが、自由主義者であれば②を受け入れることやぶさかではないというものです[1]。実際、右派と自認あるいは呼ばれる勢力の中には、(家父長的な家族制度や性別役割分業、温情主義的な経営などに典型的な)旧来型の社会秩序に拘る保守主義と、(飽くなき拡大と競争を是とし、そのためなら従来の秩序を破壊しても構わない)自由主義が混在しており、両者は必ずしも一致しません(むしろ原理的には秩序維持と自由競争というのはほとんど矛盾するものですが現実にはそうならないところに大きな謎があると言える)[2]。そして自由主義(リベラル)という立場が北米や日本ではむしろ進歩派・左派を示すことから分かるように、自由主義的右派と上記②の文化的左派は親和性の高い立場であります。例えば、男女平等や人種・民族的多様性を促進する施策の目的が、(より良い経済パフォーマンスを見込んだ)経済主義的なものであるか社会的平等・公正という価値に基づいたものであるかは問わないというのであれば、この二者の違いを問う事は不可能になります[3]。そしてこうした側面での左右あるいは進歩対保守の対立が強調されることによって見えなくなるもう一つの争点が、上記①の経済的な社会的平等・公正です。

少し回り道をしましたが、現代フランスの政治空間を規定する条件とはこのような社会的文脈です。80年代以降の左右政治の中道化の背景には、高度成長を経た生活水準の上昇や都市化の進展、そしてこうした社会的属性を表現する人々としての新中間層の拡大があります。これは伝統的な保守的右派にとっては自らの支持基盤であった農村や自営業者など旧中間階級の減少を意味し、(経済的な平等を重視していた)伝統的な左派にとってはその構成主体と支持基盤が労働者階級から都市の中間層へ移行したことを意味します。80年代中盤から2000年代初頭のフランス政治は左右中道政党が共に政権を形成する「コアビタシオン(共住という意味)」に特徴づけられますが、左右既存政党(フランスでは左派が社会党、右派が共和党に代表される)の中道化によって経済的次元での左右対立はほとんど見えなくなり(社会党はもはや資本主義の克服を目指していない)、残る文化的側面についてこれら左右の政党は争うことになります[4]。そして文化面については左派がジェンダー問題や人種的マイノリティの問題に取り組み、右派が伝統的な社会秩序やナショナリズムを煽るという形で対立してきました。より積極的な形で排外主義政党として1990年前後から台頭してきたのがジャン=マリー・ルペン(前回と今回決選投票に残ったルペンは彼の娘)率いる国民戦線ですが、右派の共和党も2000年代からは国民戦線のレトリックやアジェンダ設定に乗っかることで党勢を維持・拡大してきました(特に2007~2012年に大統領だったサルコジが典型)[5]

そしてこうした対立軸の移行の裏側には自らの利害を政治的に表現する回路を持たなくなった人々の存在がありますが、「分断された社会」や「新しい貧困層・格差社会」としてしばしば語られるこうした社会層はしかし、階級問題を争点とする政治的な表現を持たないという点では一致しているものの[6]、その内実は全く一枚岩ではありません。左右両翼の先鋭化はその政治的表現の一つではありますが、その他にも政治的無関心層(あるいは諦め)や棄権率の増加は労働者階級・庶民階級の投票行動の大きな特徴です。そして前回選挙時に既存の左右対立を統合すると宣言したマクロンの登場も、こうした左右中道化という事情を背景にしています。

とはいえ、こうした新たな政治勢力の配置は2017年の前回選挙時には既にほとんど明らかとなっていました。前回の大統領一次選では、左右の統合を打ち出したマクロン、排外主義極右のルペン、保守共和党の復興を試みたフィヨン、経済的・社会的不平等の問題を再び政治的争点に持ち込んだ左翼メランション[7]の四者が、20~24%の得票率で(この順で)横並びとなり、二次選でマクロンがルペンを大差(66%)で破り大統領となりました[8]。ここでは政権党であった社会党候補のアモンは6~7%の得票率に沈むことになり、既存の巨大政党としては社会党の一人負けという事態になりました[9]

2017年の選挙後のラジオ番組で政治学者のピエール・ロザンヴァロンが、(おそらくマクロン、ルペン、メランションを念頭に置いて)政党政治の衰退とムーブメントとしての政治勢力の台頭という新たなフランス政治の特徴を指摘しましたが、そこでは党内組織のインフォーマル化、カリスマ的(と見なされた)リーダーへの権力集中、浮遊投票者層の増大などの特徴が挙げられます。そして今回の一次選の結果を見る限り、この五年間でこうした傾向はさらに強まったように思います。

なお、「左右のどちらでもない(左右の対立自体を乗り越える)」と言って登場したマクロンは、社会党オランド前大統領の秘蔵っ子で一時期は社会党員だったこともあり(オランド期に経済大臣を務めていた)初期は中道路線を取るかもしれないと思われていましたが、就任直後の富裕税廃止に加え労働法改革、国鉄改革、年金改革、大学改革などの一連の反社会的な改革によって完全に(富裕層と起業家の利益を体現する)新自由主義者という位置づけになりました[10]。また彼自身の階級蔑視的かつ傲慢不遜な態度(地方外遊中に「仕事がなくて困ってるんです」と言ってきた市民に対して「そこらへんで見つかるでしょう」と言い捨てる!)は多くの国民の怒りを買い、もはや彼を左派を位置づける人は皆無という状況です[11]

一次選の概観

今回の一次選では、マクロン28%、ルペン23%、メランション22%の三者のみが一定の得票を獲得する結果となりました(以下にゼムール7%、ペクレスとジャドが5%弱…と続いて行きます)。前回の一次選と比べてほとんど同じであり、唯一かつ大きな違いは共和党候補者のペクレスが5%以下の得票率に沈んだことでした。特に5%は選挙費用の返還を受けるのに必要な得票率として重要な指標なので、ペクレスの結果は前回の社会党に続く共和党の崩壊を意味しています[12]。ちなみに社会党のイダルゴの得票率は1.7%と12候補者中9位の惨敗であり(これは2.3%を獲得した共産党ルッセルより低い)、ここに80年代以降のフランス政治を担った既存の左右二大政党が共に消え去ったと言える事態となりました。

ここで第4位となったゼムールに触れておくと、彼は極右のルペンよりさらに過激な極右排外主義者です。極右の候補者が2名も出てきた背景には、一方ではメディアの扇情を含む社会全体の右傾化があり、他方で党勢拡大を狙うルペンの国民連合が中道保守層を取り込むために排外主義的な主張のニュアンスを和らげたため(「脱悪魔化」と呼ばれる)、より過激な排外主義が台頭する余地が出てきたことがあります。ちなみにゼムール自体が長年テレビ番組の司会者として世論の右傾化に貢献してきた張本人であり、昨年末の世論調査では20%前後の得票率が予想されるなど台風の目となることが予想されましたが、(移民排斥以外の主張はほぼないので)ミーティングや討論を重ねるごとにボロを曝け出し最終的には(それでも)7%という結果に終わりました。

こうして結果の順位自体は前評判通りでしたが、想定外だったのは共和党ペクレス、緑の党ジャド、社会党イダルゴなどの既存政党の予想以上の惨敗と、メランションの躍進でした。実際メランションの事前予想得票率は15~16%だったので、実に6~7%もの上積みを果たしたことになります。これは去年からの世論調査や後述するメディアの論調などを踏まえると大躍進と言える結果でしたが、それでも二次選に進むことは出来なかったという意味で敗戦ではあります。メランションとルペンの得票差が1.2%だったことを考えると、緑の党、社会党、共産党のどこか一つでも協力していれば彼が二次選に進むことが出来たのにと悔やまれますが、実際にはほとんど文化面においてのみ左派である緑の党ジャドと社会党イダルゴはメランションに対して協力するどころかむしろネガキャンを張り、組織内候補を優先した共産党は一定の距離を取り続けました[13]

なおフランスにおけるほとんどの世論調査のデータを提供しているIpsosという調査会社の結果によれば、マクロンに票を投じた主な有権者は、70歳以上(41%)、高所得者(35%)、(高級)管理職(35%)、(自己申告で)上流あるいは特権的な社会階層に属している(53%)、といった社会的属性の特徴を持っており、社会的に恵まれない有権者層の票はメランションとルペンで二分されるというありさまで、ここにはフランス政治の基底を成す大きな要因の一つである階級対立が非常に分かりやすく見て取れます[14]

メディアと政権のアジェンダ形成

今回の選挙は、社会科学者として中長期的には上に見てきたような社会全体の変化や趨勢が政治空間を規定するという考えは変わらないものの、短期的にはメディアや政権の世論への影響力を再確認する選挙となりました。そしてこうした短期的な政治的意思決定の積み重ねも中長期的な趨勢を形作る大きな要因(の少なくとも一つ)であることを考えると、現在の社会の底が抜けたような言論空間の劣化と排外主義の台頭に対するメディアや政権の責任は大きいを言わざるを得ません。

メディアについては、極右の候補者及びその代弁者をほとんど必ず討論者として招くことで、移民政策や排外的主張の是非を選挙の争点に設定することに貢献したと言えます。これはこれらの争点自体が不毛かつ有害なだけではなく[15]、こうした争点に時間を割くことで他の政治的争点(特に上記の①で示したような社会階級的視点を含む左右対立)がぼやけてしまうという弊害があります。そしてメディアが排外主義を(無批判にたれ流すことによって)煽れば煽るほど、つまり争点が上記②の文化的側面に集中するほど、マクロン対ルペンは「進歩派対保守派」「国際協調派対ナショナリスト」「極右の脅威に対する共和国の危機」という構図として設定され、この限りで多くの左派は(排外主義的主張を受け入れることは出来ないというのみの理由で)、マクロン支持に回ることになります。反対にメランションが決選投票に残るということは①の階級対立的争点を扱わざるを得ないということであり、マクロン対メランションの構図も必然的に「大富豪層対庶民」「1%対99%」になったでしょうが、これは富裕層や資本家(そして彼らが筆頭株主である主要メディア)がなんとしてでも阻止したかった流れでもあります。

政権側はウクライナ戦争で忙しいことを口実にマクロン本人が討論番組に一度も参加せず支持者とのミーティングも一度しか行わないなど、過去5年間の政権への総括及び批判やマクロンが掲げるマニフェストについての問題点が指摘されかねない機会をことごとく回避していました。マクロン本人による選挙キャンペーンは直接的にはSNSでの動画配信、間接的(というかほぼこちらがメインでしたが)には連日メディアで報道されるウクライナ戦争関連におけるマクロン政権の外交努力であり、個人的にはこんな(一方的に主張を配信するだけでなんの議論もない)反民主主義的かつ大衆操作も甚だしい選挙戦を行うなど有権者をどこまで馬鹿にしているのかと思いますが[16]、まぁ勝てば官軍ということなのでしょう。

決選投票の展望

こうして政権や主要メディア(とそれを支える富裕層)の思惑通り、決選投票はルペンとマクロンの一騎打ちとなりましたが、これは2000年代の初頭から(特に右派の)中道政党が多かれ少なかれ取り続けてきた戦略の焼き直しでもあります。つまり、フランスの経済的パフォーマンスが危機的レベルにあると煽りそのためにより柔軟な労働市場や各種公共サービスの民営化、公共支出の削減が必要であると訴えるものの、(左派が指摘する)そうした政治がもたらす社会的・経済的不平等や不公正の問題にはほとんど向き合わず、そうした政治の結果がその台頭をもたらした要因の一つであるレイシズムや排外主義の台頭の脅威に対する防波堤を自認する、という手法です(極左のプトゥーは「マクロンは放火魔の消防士だ」と言っていますがこれは言い得て妙だと思います)。そもそも平時にはこうした排外主義的主張や彼らの活動にノータッチでありながら(それどころかメディアも彼らの主張を積極的に取り上げることによってこうした論点が選挙争点になることに貢献している)[17]、選挙時のみその脅威(と自らが防波堤であること)を指摘する様は個人的にはとても白々しく思えます。

一次選の結果が出るや否や、共和党ペクレス、社会党イダルゴ、緑の党ジャドは「極右が政権を取ることを阻止するために」決選投票でのマクロンへの投票を呼びかけました。彼らは極右政党が権力の座に就くことを食い止めるのはフランス共和国を守ろうとする人々すべての責任であると言い、そのために対立候補であるマクロンに投票すべきであると呼びかけます。こうした認識は間違ってはいないでしょうが近視眼的で、また労働者・庶民階級の人々にとってはマクロンの階級蔑視観がルペンの排外主義・人種差別観ともはやほとんど同じレベルで憎まれていることを政治的エリートである(その意味で政治的支配者の見方を多かれ少なかれ共有している)ことを彼らはおそらく十分に理解していないように思えます。実際、ペクレスの呼びかけにも関わらず、決選投票における彼女の支持者の投票予定先は、マクロン45%、ルペン28%、未定27%であり、彼女の支持者の半分以上は(彼らのリーダーが呼びかける)マクロンへの支持を拒否・保留していることになります[18]

一次選でマクロンとルペンの間に5%もの差がついたとは言え、四番目に多い得票率(7%)を獲得したゼムールがルペン支持を呼びかけ(そして彼の支持者については85%が決選投票でルペンに投票する予定であると答えている)、共和党のペクレスを支持した人々が必ずしもマクロンへの支持に回らないとなると、決選投票ではかなりの接戦が予想されます。実際に各種世論調査ではマクロンが51~54%の得票率で勝利するという予想がなされており(Ipsosの調査では54%)、過去二度の極右候補が決選投票に進んだ時のような「極右が権力を握らないために何が何でも対立候補に投票しなければ」というような雰囲気もそれによる圧勝ムードも今回はかなり薄いように見受けられます。

ここで決定的に重要になるのが一次選で22%の得票率を獲得したメランション支持者の動向ですが、メランションは決選投票について「ルペンに一票たりとも投じてはいけない」と繰り返すのみで「マクロンに投票すべきだ」とは一度も言いません。ここまでの記述からおそらく明らかなように、メランション支持者にとってはマクロン政治はルペンの主義主張と同じようにフランス社会を破壊するものだと捉えられているので、ルペンが大統領になることには断固反対でもそれを理由にマクロン支持には回ることもはやうんざりだと思っているでしょうし、そうした有権者に支えられていることを自覚しているメランションも(消極的にでも)マクロン支持を呼び掛けることは自らの基盤を掘り崩すことだと認識しているでしょう。実際に決選投票におけるメランション支持者の投票予定先は、マクロン29%、ルペン25%、未定45%となっており、ペクレス以上に見通しが立ちません。マクロン陣営は2017年選挙の一次選でフィヨンを支持した約20%の中道右派層に対して働きかけたように決選投票までにメランションの支持層を取り込もうとするでしょうが、マクロン政治がルペンの主義主張と(今まで見てきた通りその質は違うものの)同じくらい反感を買っており、彼らが支持したメランションが提示していた方向性がルペンから離れたものであったのと同じくらいマクロンから離れていたものであることを考えると、五年前と同様の戦略が功を奏する度合いは低くなっています(世論調査の接戦予想もこうした事情を反映している)。

おわりに

最後に、フランス滞在年数が8年になり現地で大統領選(と平時から政治に関する議論)をそれなりに追いかけてきた身からすると、「選挙は民意の発露である」というのは間違いとまでは言えないでしょうが過度に単純化したものの見方であると実感せざるを得ません。選出された大統領はそれが誰であろうと「国民の総意によって選ばれた」ことを強調するでしょうが、一次選の投票結果から見て取れる通り盤石な候補者は存在しません(首位のマクロンでさえ投票者の約28%、有権者の約20%から得票したに過ぎない)。そして候補者の掲げるマニフェストが利害を異にしうる多くの政策から構成されている以上、多くの有権者の支持は多かれ少なかれ消去法的なものになるでしょう(この点で排外主義というほとんど単一の政策を押し出すゼムールは例外で、それはルペンにもある程度当てはまります)。なにより日常的な政治的争点の形成や選挙時のアジェンダ設定に果たす政権やメディアの役割を考えると、「有権者はメディアから取得する情報や知識とは独立して確固たる政治的立場や意見を持っており選挙はその表現に過ぎない」という代表性民主主義が前提としている理念の現実的基盤ははかなり疑わしく思えます(だからといって一足飛びに代表制民主主義を否定しているわけではない)。

以上が24日の決選投票を控えた現時点での考察です。僅差とは言えマクロン有利の情勢は変わらないわけですが、ここで彼が当選した場合でもそれはもはや「排外主義的ナショナリズムやレイシズムの台頭に対するフランス民主主義・フランスのヨーロッパ主義の底力の証明」と呼べるものではないでしょう(もちろんマクロンはそのように位置づけようとするでしょうが)。むしろそれは現在のフランス政治の混迷、そして現代フランスの代表制民主主義の機能不全の反映により近いのではないでしょうか。トランプ政権やBrexit後の混乱を見れば、排外主義的(自国中心主義的)ポピュリズムの台頭は民主主義の再活性化には全く繋がらないどころか権威主義的な政治(とそうした政治をめぐる過激な対立)を助長するのですが、そうした排外主義に対する人々の恐怖や分別を当て込んで火遊びをする政治エリートも、同様に民主主義を愚弄していると私は言いたい。

 

[1] 実際には、保守層も自らの基盤が危うくなると社会的な保護や再分配という政策を支持するようになるのですが、こういった立場は往々にして社会的平等の要求(①の左派的立場)に向かいづらいものであります。それはこうした主張が社会的平等や公正を追求するものからくるものではなく、むしろ今まで相対的に恵まれた立場にあった自らの地位が脅かされているという不安感からくるものだからです。ここでは人種差別や性差別といった数々の社会的不公正については良くて無視、実際にはこうした社会的不公正や不平等が自らの相対的優位性を担保してきたものであるとしてその積極的な維持(排外主義や男性優位主義)を志向します。

[2] 近代のダイナミズムを、自由主義・保守主義・急進主義(社会主義や共産主義など、人為的により望ましい社会を形成していこうとする立場)という、互いに対立し相補し合う三者の相克として分析する社会学の古典に、ニスベット『社会学的伝統』があります。

[3] この二者の違いについて考えさせられるケースとしては、例えば男女平等を希求するキャリアウーマンは、(そうでないと敬遠・転職されるという社会であれば)彼女が優秀である限りにおいて企業側は良い処遇を行うでしょうが、彼女個人のキャリア形成が社会的な男女平等や女性の地位向上に結び付くものかどうかを考えてみてください。

[4] なお、(根本的には人類の存亡が関わっているのだから)本来的にはこれら二軸の左右対立と独立的に存在するはずの環境問題という論点については、これが実際の政治的争点となる際は②の軸に回収されていくというのがフランスの現状です。これは、緑の党など政党を構成する主体が往々にして都市の中流・上流階級出身の人々であること、環境問題に取り組む際に社会的・経済的不平等や不公正の問題が十分に顧みられていないことによります。

[5] なお2002年の大統領選で、共和党シラクと社会党ジョスパンの一騎打ちという事前予想を裏切ってルペン父が決選投票に進み非常に大きな衝撃を与えたのが極右の台頭を示す出来事でした。しかしこの時は国民戦線への積極的な支持というより社会党への幻滅がルペン父の得票の大きな要因であったこと(投票率自体も現在の第五共和制の中で最低だった)、大多数の国民はルペン(国民戦線)の主張に強く反対していたことから、決選投票ではシラクに82%の票が集まりました(これも史上最高の大差)。

[6] このことについてよく言われる例証として、現在のフランスの社会構成において(現場)労働者が約4分の1を占めているにもかかわらず、フランス議会において(現場)労働者出身の議員は一人もいないという事実が挙げられます。

[7] メランションを極左と位置付けるメディアや論者も多いが、個人的には同意しない。彼が①で見てきたような経済的不平等の問題を再度議論の俎上にのせたことは確かだが、プログラムやインタビューを見聞きする限り彼が従来(高度成長期以前)の左派が主張していたような資本制の打倒や社会主義革命を志向しているとは全く思えず、その意味で(評価の是非はさておき事実判断として)改良主義的立場に留まるからです(ちなみにこうした立場の漸次的変化はフランス共産党にも言える)。その言葉本来の意味における現代の極左は、反資本主義新党のプトゥーや労働者闘争(という名の政党)のアルノーでしょう。ちなみに筆者は、(彼が政権を取ることはないと思うものの)個人的にはプトゥーに好感を持っている。

[8] ちなみに共和党のフィヨンは、(長年に渡り自分の妻や近親者に架空のポストを与え公金を横領していたという)スキャンダルがなければ大統領になっていた可能性は十分に考えられ、そうなれば現在の政治勢力とその配置も異なるものになっていたでしょう。

[9] この背景には、前大統領のオランドは不人気過ぎて出馬を辞退せざるを得ず(現職有利な選挙においてこれ自体かなり異例な事態です)、党内左派のアモンが社会党予備選を勝ち抜いたものの、オランドを始めとする党内右派がこぞってマクロン支持に切り替えアモンを見捨てたという事情がありました。アモンは続く国民議会選挙も惨敗し、社会党は再び右派が主導権を握ることになりました(イダルゴはその系譜に属する)。

[10] 国鉄や(国公立)大学は既に民営化され、労働法は元々規制と保護が弱く、年金改革に至っては反対することなどほとんど思いもよらない現在の日本では、これらの諸改革の持つ政治的意味を理解するのは非常に難しいと思いますが、これらの点について述べるのは別の機会に譲ります。

[11] ちなみにこれは上記の分類でいえば①(階級的な意味)の左右対立においてマクロンが右派であるということで、では②の文化的な左右対立においてはどうかという問題はありますが、個人的な印象で言えばおそらく彼自身はこの問題に関心がない。そして関心がなく、フランス世論(というかジャーナリストのほとんどが都市出身の教育・文化水準の高い中間層から構成されるメディア)が全体としてはジェンダーやマイノリティの問題を「伝統に固執する保守主義者に対する進歩主義者の闘い」とフレーミングする限りは彼はこの側面においてスタンスとしては進歩派でいられるだろうと思います。しかし一方では同性婚は既にオランド政権時に法制化され人種差別的主張はその跋扈を見逃し、他方でジェンダーや人種的側面での実質的平等や公正を促進するには社会経済的な再分配やシステムの変更(つまり①の意味での左派的介入)が必要であることを考えれば、この分野において彼が進歩派として成し遂げられることも多くはないと思います。

[12] 厳密には次の通り。まずフランスでは選挙の公正さを担保する目的から各候補者が動員できる選挙費用に上限があり、その上限額は現在、一次選については約1700万€(約23億円)、決選投票については約2250€(約30.7億円)となっています(こんな高い上限設定で選挙の公正さを担保する競争制限になるのかという疑問はもっともだと思いますがここでは掘り下げない)。一次選で5%の得票率を獲得すれば最大でこの上限の47.5%である約800万€(約11億円)の費用返還がなされるのに対し、5%以下の場合にはそれが上限の4.75%である約80万€(約1.1億円)になります。政権維持や党勢拡大を狙う政党はこの費用返還を当てにしてしばしば借金をしてでも莫大な選挙費用を用いるので、5%に満たないことが即座に党の財政危機に繋がります。今回5%に満たなかったペクレスの共和党とジャドの緑の党は共に財政危機に陥り、既に両党首が寄付を呼び掛ける事態になっています。

[13] もちろん、メランション自身の権威主義的な性格や党組織よりも自身へ権力を集中させたがる傾向もこうした左派政党(特に共産党)から協力を得られなかった一因でもあります。特に彼が醸し出す自身の知的優秀さやカリスマ性を疑わない態度(簡単に言えば上から目線で、この点アメリカのサンダースに似ていると思う)はマクロンとどっこいどっこいレベル(というかこの二人は政治的な主義思想は正反対だが、政治家としての類型的にはある程度似ている)で、彼の支持者でもプログラムは支持するが彼のパーソナリティを好まない人も少なからずいます。

[14] なお調査は一次選直前に行われたものなので、各候補者の得票率が実際の結果とやや異なります(特に直前まで猛烈な追い上げを見せたメランションの得票率が2%ほど低く出ている)。また年齢構成による投票先は厳密に言えば階級対立というより(階級対立を含む)世代対立と言えます。ほとんどの政党が有権者のボリュームゾーンを成す高齢者層の利益を損なう政策を掲げないのはフランスでも同様で、マクロンの(受給年齢を引き上げたり給付額を引き下げる労働者にとっては改悪の)年金改革ですら現時点の年金受給者には適用されないので、こうした改革が高齢者層の支持率を損なわない理由はこういった点にあります。

[15] 排外主義者の主張はそのほとんどすべてが人権侵害であるか現行法(国内法及び国際法)を無視した実行不可能なものなので、(極右や排外主義者はどこにでもいるので)そうした政策を掲げる政党が存在することはともかく、彼らの主張を無批判にたれ流したり事実に反していることをチェックしないのであればメディアはその役割を放棄していると言わざるを得ません。

[16] ちなみに大衆操作で言えば、選挙一か月前から特に理由もなくマスク着用義務が解除されるという措置もありました。こうした措置の妥当性は選挙が終わった時に明らかになるでしょう。

[17] Ipsosによる今回の選挙の主要争点を訪ねた世論調査で、ダントツ首位の「購買力(58%)」の次に「移民(27%)」の項目が僅差で第二位に位置したことは示唆的でしょう。ちなみにこれらの後に、「医療制度(26%)」「環境(26%)」「年金(25%)」が続きます。

[18] これもIpsosの世論調査による。ちなみにジャドの支持者の予定投票先はマクロン59%、ルペン12%、未定29%ですが、緑の党の支持者社会層を考えればこれは驚くには当たらないでしょう。イダルゴの得票率が1.7%しかなかったこともあり彼女の支持者の予定投票先はこの調査結果には示されていませんが、現在の社会党支持者のプロフィールを考えれば緑の党とほぼ同様だと推察されます(そもそも前回アモンに投票したような社会党左派層はほとんどメランション支持に回った)。